ワンダーエッグ卒業文集・オンライン

 
2001年12月の冬コミにて販売した本
『ワンダーエッグ卒業文集』のオンライン版です。
おかげさまで完売し、増刷の予定もないのでこちらで発表いたします。
テキストデータではない作品に関しましては、
近日中にスキャンの上、掲載させていただく予定です。

参加して下さった皆様に改めてお礼を申し上げます。
想いのこもった作品をお送りいただき、
本当にありがとうございました!

では、かなり長いのですが、ごゆっくりお楽しみ下さいね。
(こちらで適宜改行を入れてあります。ご了承下さい)
 



ワンダーエッグに初めて行ったのは3の時でした

てつや

ナンジャラー!(違う) 

僕は最初、ワンダーエッグに行く気はなかった。 

1992年、雑誌で「ナムコがテーマパークをオープン」という記事を見た時には 
「おっ、そんなのが出来るのか。オレ、ナムコ好きだからなぁ。遠いけど行ってみようかな?」 
なんて思っていたのだが、結局オープンしてしばらくは行かなかった。
いや、行く気がしなかった。 
あまりにも長過ぎる「しばらく」だったのだが。 

その理由は幼稚なものだ。 
「愛とサクセスのテーマパーク」というワンダーエッグのキャッチフレーズに対して、 
「はたして、オレ一人で行って楽しむことが出来るんだろうか?」 
「やっぱりカップルじゃなきゃダメかなぁ、、、」など 
男一人で悲しくなってしまわないだろうかというちょっとした恐怖(笑)があったからだ。 

しかし、それが被害妄想だったことに気づいたとき、 
既にワンダーエッグは終焉までのカウントダウンを始めていた。 
僕がナンジャタウンに行き出したのは1997年末。 
それからしばらくした1999年11月4日、
僕は初めてワンダーエッグ3へ行くことになった。 

渋谷駅を出発し、二子玉川園(現二子玉川)駅につく前から 
なんともいえない気持ちが僕の心の中を覆った。 
ワクワクというか、ドキドキというか、、、 
その時に脳波計をつけて調べていたら僕の脳の中はα波でいっぱいだっただろう。 
(まぁ、ほんの少しだけ「つまんなかったらすぐ帰ろうかな」という気もあったが。) 

駅に到着。すると東口の正面には「ワンダーエッグ3」の看板が! 
でも矢印などの表記は無い。どっちに行けばいいんだ?とりあえず、周辺を歩くことに。 
(余談だが、あの看板の下あたりにあったゲーム屋は今でも営業しているのだろうか?) 
10分くらい歩いた末、やっとワンダーエッグのゲートの前に到着。 
パスポートを購入する。もちろんスーパーナンジャビザでパスポート代を半額にして。 

入園。するとそこには、まるでヨーロッパの市場のような風景があった。 
ドリーマーたちがワイワイと話しをしていたり、アーケードゲームで騒いでいたり、、、 
僕がオープン時に思っていたようなカップルばかりとは掛け離れていた。 
(もちろん、ベタベタしてたカップルもいなかったわけじゃないけど) 

中庭(?)に行くと前方には「ピラリスのカルーセル」が大きく構えていた。 
そして脇を固めるようにしてアトラクションの数々が。 
あのドルアーガの塔は後方に建っていた。僕のα波はどんどん増していく。 
まずはじめに挑戦したアトラクションはもちろん「ドルアーガの塔」。 
事前にいろいろと聞いていたのだが、これほどおもしろいものとは思わなかった。 
ただモンスターやドラゴンを倒すだけじゃないということ。 
倒したモンスターや得点によって何段階も評価があること。 
何度でも何度でもやりつづけたくなる面白いアトラクションだった。 

次はギャラクシアン3。アトラクションの前からアトラクターの名演技。 
これこそがワンダーエッグの魅力のひとつといっても過言じゃない。 
その後にアトラクションに挑戦したのだが、「おもしろすぎる!」この一言。 
三度ほど並びなおして、やっと成功。あの時の嬉しさはひとしおだった。 
(後に「12時間防衛作戦」なる企画にも参加したが、あの時は周りの人の腕が強すぎて 
自分の前に敵が現れていなかったから。(笑)みんな、ハマってたんだなぁとつくづく思った。) 

ワンダーエッグの楽しさはアトラクションだけではない。 
「WE3ステーション」ラジオ好きの僕にはたまらない場所だった。 
「アーケードコーナーのお兄さん」ジャグリングがすごく上手かった。
今、どうしてるんだろう? 
「ディッピンドッツアイスクリーム」近所にもあるので今でも食べてます。 

ワンダーエッグの象徴ともいえる「ピラリスのカルーセル」には、1回しか乗らなかった。 
ワンダーラリーでシールをもらうためだったのだが、
やっぱりカップルや友人と乗りたかったなぁ。 
しかし、たった一回しか乗らなかったカルーセルから見た景色は今でも忘れることができない。 

この時、いつのまにかワンダーエッグ大好き人間になっていた。 
オープン当初の頃を思い出すのが恥ずかしいくらいの。

ワンダーエッグ最後の時を、僕はパソコン越しでみていた。
実際にその場所にはいないのに、なぜか涙がとまらなかった。 

「ワンダーエッグ、フォーエバー!」って、叫びたかったなぁ。 

ワンダーエッグは、夢のあるテーマパークだった 
ワンダーエッグは、ふれあいのあるテーマパークだった 
ワンダーエッグは、熱くなれるテーマパークだった 

そんなワンダーエッグのあった場所には、
今はポッカリと穴が空いてしまったかのようになっている。 
ラペロ村は、空高くに飛んでいったのだろう。 
ちょっと落し物もしていったけどね。(ナンジャタウンの中に飾ってあるから。) 
もしかしたら、また新たな場所で「ワンダーエッグ」をひらいているのかもしれない。 

僕は最後に叫びたい。 
「Wonder Eggs Forever!」 


日曜日は・・・  

Fの父

7:00 起床
7:30 「○○戦隊○○レンジャー」を見ながら朝食準備。
8:00 娘に声をかけ、食事。
9:00 車に乗り込み、出発。
9:50 「第三京浜玉川インター」そばのGSで給油。
10:00 「おはようございます」の声を聞きながら入園。
    「カーニバルアーケード」の景品をチェック。
    「ピラリスのカルーセル」をシールをもらえるまでループ。
    「サイバーステイション」で「チ○ルチョコ」をゲット。
    「G3」「スターオーディション」「ドルアーガの塔」「ウエディングジャッジ」
    「メビウスクリーク」のうち、娘の気が向いたものを2〜3。
    (「フューチャーコロシアム」「ホテル殺人館」は身長が足りず「ゾンビの棺桶」は
     恐怖に勝てず挑戦できなかった娘・・・)
11:30 「時空の橋」を渡り「たまご帝国」入国。
    「ファイターキャンプ」のスクランブルミッションに参加。
    他機がトンネルループに興じる中、右コースから確実に地上施設を破壊する
    ガンナーの娘。
12:00 「ドリフトキング」をループ。(主に娘、父は休憩)
12:30 「エンパイアキッチン」で娘の食事。
13:00 「ラペロ広場」でイベント。(合間に父食事「船橋屋」)
13:30 「サイバーステーション」でジン○ス○ンさんの華麗なステップや、
    参○長の見事なハンドルさばきを観賞。
15:00 「ラペロ広場」でイベント。
15:30 「たまご帝国」に戻り、「コントラプション」「ファンハウスエクスプレス」
     「ドリフトキング」「たか鬼(って何?)」「ファイターキャンプ」など。
18:30 「エンパイアキッチン」で娘の食事。(昼と同じもの)
19:00 園内の夜景を「ラペロプター」から楽しむ。「ドルアーガの塔」
     「スタアオーディション」などを3〜4。
20:00 「ピラリス御神籤」をひいて、退園。銭湯へ向かう。
21:00 娘を後部フラットシートに寝かせ、帰路につく。
22:00 帰宅。
23:00 就寝。


ワンダーエッグと共に…              

  ruriel

ワンダの解体に間接的に立ち会って感じたことは、
あのちっぽけな広さの更地に立って感じたことは、
あれだけのドラマとエネルギーを伝えたあの場は、
もう、その場所には無いと言うこと。
そして何より、僕らの膨大な思い出の量を遙かに上回る
もの凄い、現実的な量の産業廃棄物の山がそこにあった。

始まりがあれば、必ず終わりが来るわけで
例えば舞浜や、多摩センター、池袋、舞浜海など
それらが最後を迎えたときのガラの量を想像すると
夢や魔法を現実とするために、引き替えた製造エネルギーや
運営にかけた人的エナジー、そして解体に要するリソースの事を
考えると、僕らが作ったり思い描いたり受け止めたりした
あのパークの事を、どうしても営利的な人的思考の構造物と
とらえなければならない。

しかしそれらは、映画、テレビ、雑誌や、
電力や電話、鉄道、エアラインのように
その時代に生きた人間が、生きるには欠かせない一つの要素で
あったに違いないと感じる。

人間は、実質的に生きて行かなくてはいけない部分を持っている。

しかしその一方で、我々は、夢や希望や遊びゴゴロを持って
笑ったり泣いたりしなくてはイケナイ存在なのだ。

だから僕らはこんな風に、ワンダーエッグと共に集い、育ち、
そしてこれからもずっと、思い出をわかちあうのだと思う。


いろんなことを吸収しました。    

       なまちゃん

初めてワンダーエッグに行ったのは、1992年の3月。
その日のことは今でもよく覚えている。

もともとは、花博で体験できるということを知っていながら行けなかったために
ずっとプレイしたいと思っていた、
ギャラクシアン3とドルアーガの塔で遊ぶのが目的だった。
どれだけすごいゲームになっているのか、期待に胸をふくらませて。
でも、私を虜にしたのは、アトラクションそのものの面白さはもちろんあるけれど、
全体的に漂っている雰囲気がとても良かったということだった。

エルズ広場に降り注ぐ陽射しと、暖かい風。
流れ続けている楽しい音楽。
笑顔で気さくに話しかけてきてくれたアトラクター。
必死で撃ったけど、どうしてもクリアできなかったドルアーガの塔。
演出に体が震えたギャラクシアン3。
当時はその魅力が理解できなかったメビウスクリーク、ピラリスのカルーセル。
威厳のある言葉で、ラペロ村の世界観に浸らせてくれたピラリスおみくじ。

とてもたくさんの思い出を家に持ちかえった私は、
それから何日も何週間も、ワンダーエッグのことで頭がいっぱいだった。
一度行っただけで完全に魅了されてしまっていた。

それからは月に一度くらいのペースで行くようになった。
当時の私は社会に出たばかりで、いろいろなことがうまくいかなくて
相談できるような相手もなく、
一人でストレスや悩みを抱え込む日々だったのだ。
ストレスをためてためて、
いよいよ耐えられなくなってくるとワンダーエッグへ行っていた。
別にアトラクターに愚痴っていたわけではない。
普通にアトラクションをまわって遊んでいただけだ。
でも、園内にいるだけで、アトラクターの笑顔を見るだけで、本当に癒された。
また明日からも頑張っていけそうだな、と思えた。

年齢的にはそう変わらなかったはずだけど、
アトラクターは私にとって「元気をくれるお兄さん、お姉さん」だった。
自分とは対極の位置に立っていた彼らが、とてもまぶしかった。
形式だけで心が伴っていない対応しか受けたことのなかった私にとって、
自分が楽しみながらイキイキと働いている彼らの存在は、
ある意味ものすごくショックだった。
いつかは自分も、あんな風に笑顔で人をもてなせるようになりたい。
強くそう思った。

それから約7年後。
夢が叶い、私はあるテーマパークで働けることになった。
自分がアトラクターからもらってきた幸せな気持ちを、
今度は他の人に与える側になれた。
常にお手本として意識していたのは、ワンダーエッグのアトラクターたちだった。
レベル的には全然かなわなかったと思うけれど、
憧れのアトラクターという存在にちょっぴりでも近づけた気がして、
とても幸せな経験だった。

ラペロ村はなくなってしまい、エルズやピラリスたちも帰っていってしまった。
ドリーマーやアトラクターがあの場所で楽しむことも、もう決してない。
だけど、約8年の間に積もった数々の思い出は、
いつまでも気持ちを明るく照らしてくれるだろう。
自分が感じたことや得たことも、
これからの人生に少なからず影響を与えていくだろう。

素敵な空間、ワンダーエッグ。
この世に誕生してきてくれて、本当にありがとう。


ワンダーエッグが教えてくれたモノ  

        忍者福島

ワンダーエッグが無くなって1年。
さびしく思う事がある。
もう一度行きたいとも思ったりする。
でも今ある現実を生きていくしかない。

でも、そんな毎日を送っていてふと疲れたとき、ワンダーエッグの事を思い出す。

初めての挑戦の感覚から上手くなっても
もっと上を狙ってみたいと思わせてくれたアトラクション。
ワンダーエッグでの楽しみを倍増してくれたアトラクター。
共に楽しみ、笑いあったドリーマーの友達。
参加する事だけでも楽しかったイベントの数々。

この思い出のワンダーエッグはずっと心の中に残り続けて、今でも僕を楽しませてくれる。
つらいときでも遊び心を忘れないように・・・
これが宝物の遊びのタマゴなんだと思う。

このタマゴを大切に持ち続けて、いつでも楽しい遊び心を忘れないでいきたい。
ワンダーエッグ、ありがとう。ワンダーエッグを愛した人へ、ありがとう。

 いつでもココロはドリーマー/忍者福島


N0Rのワンエグ巡礼経緯      

          N0R

しがないゲーマー野郎のN0Rです。
ワンダーエッグ(以下、ワンエグ)が閉園して間も無く1年が過ぎようとしています。
ワンエグが無い事による影響は私生活の様々なところで及ぼしているようで、
時々「ギャラ3やりてー」とか「バジルを懲らしめてー」とか暴走する事もあり、
いかにワンエグなしでは生きていけない体だったのかが実感しています。
自分がワンエグに嵌りに陥る過程は3段階に分かれていますんで、
とりあえずそのあたりから駄弁らせてもらいましょう。

第1段階:ワンエグ開園時

今や10年以上も前の出来事。
まだ高校…ではなく高専生の1年だった葦は、非常にギャラ3をやりたがっていました。
そりゃぁ、花博が開催していた時期は受験生だったので、
家の抑圧で生けない事を悔いていました。
その頃、その跡地となった千日前にはリニューアル版があると言う情報もあり、
資金が溜まったら行こうと思ってました。
そんな所にワンエグ開園と、そこにギャラ3が置かれるという報は衝撃的でした。
数万円の出費を覚悟したものが、
数百円+プレイ料だけで可能な距離にできたのですから。
初日は(一部では有名な)妹も強制的に同行させていました。
その当時は「ゲームセンター」という表現以外に適切な言葉がなかったので、
そのせいか妹はかなり嫌がっている状態でした。
しかし、その状態もワンエグに着くまでの話でした。

…其処は「空気」が違っていました。

そこは妹が予想していた薄暗い所ではなく、二子玉川に生まれた「異空間」でした。
そして、ギャラ3の方も自分の想像を越えるものであり、
決して目だけを誤魔化したバーチャルでは作れない「空気」があったのです。
妹も、そして自分自身もワンエグの持つ「空気」に早くも魅入られ、
ワンエグに対する意識を変えたのは事実でした。
妹の方は友達を連れて行くという事もあったようです。
自分の方は週に1回、2500円券が使い切るまでワンエグで遊ぶようにしていました。
そりゃぁ、パスポートも無いご時世なんで、貧乏学生にはこのレベルが限界でした。
そして、同じような時間が過ぎ、ギャラ3の6人版が出た頃には
ワンエグに行く事はなくなりました。

第2段階:ギャラ3サークルに寄生する傭兵時

ギャラ3の6人版が出てしばらく経った時、
自分はギャラ3関連のサークルに目が行くようになってました。
理由としては、ギャラ3の達人プレイが見たいというのが原因でしたね。
ギャラ3で恐ろしいプレイを行うには28人にもおよぶ「理解ある」の人が必要という、
途方もない前提条件が必要な為に見ることも断念していた事の一つでした。
当時、大きな規模を持つギャラ3サークル(多分、多くの人は説明不要ですね)
が存在しており、自分も参加させてもらいました。
そして、こうして参加した人たちは傭兵…と呼ばれるようになり、
一種独特な空気を感じていました。
この事により、ギャラ3で見たかったことはこの時点でほぼ出尽くしてはいますが、
この事は同時に他の様々な事を知る機会でもありました。
たまご帝国の出現、パスポートの導入、
アトラクターのアクションや積極的なアトラクション・イベントの導入、
知り合ったリピータ達とのふれあいが、
ワンエグの楽しみ方を教えてくれたと思っています。
それは、ワンエグの持つ「空気」を楽しむ契機となったのです。

第3段階:ワンエグを「楽しむ」時期

ワンエグも2になってかなり経ちました。もうそろそろ学生から社会人になる時、
「本来ならこの頃、ワンエグは既に終わっていたんだな」と感慨にふけていました。
この頃になると、ワンエグ以外のテーマパークにも行くようになりますが。
なんか、違うんです。
その多くは遊園地の発展、見世物を置いてあるだけの場所という
雰囲気しか与えていないと思いました。
(あくまで私見です)
一方、ワンエグの方はと言うと、アトラクションもテーマパークと一体化して、
テーマパークの「空気」を作りだしているだと思うようになりました。
そしてフレンドリーとも言えるアトラクターも「空気」を作っているおかげで、
テーマパークに居るという感覚が格段に違います。
…あたかも、ラペロ村、たまご帝国に「遊び」に来ている印象を与えたテーマパークは
継続して通わせるには十分な理由となりました。
そして、パーク縦断型アトラクションである「ワンダーラリー」が出たのを契機に、
次第に特定のアトラクションに凝るようにもなってました。
ファントマーズでは10000点台も安定し、
ファイターキャンプでもトンネルもぐりのハイスコアや最多地上施設破壊数を目指す…
といった変り種なものばかりですが。

最後に:ワンエグの最期と、その後に求める事

長くなっちゃいましたが、ワンエグ最後の日の内容です。
昼近くから来て、ファイターキャンプ、ファントマーズ、ギャラ3と
想いが強いアトラクションを一通りやっていきました。
そして、その一つ一つに「ありがとう」と感謝の意を込めながらプレイしていました。
家の都合もあり、19時には最後のイベントを待つワンダーエッグを出ました。
そして、最後に今までの楽しい思い出をくれたワンエグに感謝を述べて、
二子玉川の地を去りました。
そして最近ではテーマパーク自体はあまり行かなくなりました。
時々行く事はしますが、継続的にと言うのはなくなりました。
今後、ワンエグを超え、気軽に通えるテーマパークが生まれる事を切に願って、
この駄弁りを終わりにしたいと思います。

ラペロ村と言う「空気=世界」を作った、ワンダーエッグよ。
今まで本当にありがとう、そしてまたどこかで会いましょう。


9年間のお祭り騒ぎに乾杯!     

        ハムテル

WonderEggは我々アーケードゲーム黎明期
(ある意味一番良かった時代)を生きてきた世代にとって
その精神を受け継いだ本当の意味でのエンターテイメントを
提供してくれたテーマパークだったと思う。

TDLのような受け身でしか体験できないパークを否定するつもりはないが、
積極的な参加ができるという点で面白さはWonderEggが勝っていたと思う。
「誰でもそこそこ楽しめるパーク」と
「遊ぶ人間は選ぶけどもの凄く楽しいパーク」であるかの違いだ。

遊ぶ側にスキルを要求するということは娯楽産業にとって諸刃の剣だろう。
しかし、甘やかされた環境ではけして味わうことができない緊張感や面白さというのは、
一度味わってしまうと病み付きになる。
そういう意味ではWonderEggというパークは
何度でも行きたくなる要素が詰まったテーマパークだったと思う。

私がWonderEggへ行きはじめたのはやがてWonderEgg2になる前くらい。
この頃は普通にパスポートを買っていたので、
どうしても月に一度くらいしか行けなかった。
目的は主にギャラクシアン3やドルアーガの塔。
下手の横好きで、こういうゲームが大好きだったのだが、
テーマパークのような入場が高価な場所に頻繁に通いつめるという遊び方は考えられなかった。
しかし同じWonderEggが好きで集まってくる人たちと知り合うと、
みんなで遊ぶ楽しさやアトラクションを極めるという遊びかたを知ることになった。
時には作った側の意図を超えるような創意工夫もあり、
どんなものにでも「極める」という要素があるのだとつくづく実感したものだ。

それまでは友人と言えば学校や職場の人ぐらいだったが、
ここでは世代や職種を超えていろいろな人たちと知り合うことができた。
そういう人達と話をするのは楽しい。
話し下手で引込み思案だった私もこの時期にかなり鍛えられたと思う(笑)
全く知らないコミュニティへ飛び込む無茶もやったし(^^;
まだまだ知られていなかったインターネットやメールモバイル、
挙げ句の果てには同人誌まで出すことに。
思えばあの場所に来ていた人達は皆、
時代の最先端を突っ走っていた人ばかりだった。
きっとそういう人たちからエネルギーをもらっていたんだろう。
WonderEggという場所がキッカケでいろいろな事を教わったように思う。
それは実に刺激的で楽しいことだったのだ。

アトラクションの面白さに加え、
ある意味日常にない緊張感を味わえる場所となったWonderEggは
私にとってなくてはならない場所になった。
それからは本当に毎週毎週、実に狂乱に満ちた楽しい時間だった。
ほんとに時が経つのは早いもので、閉園してもう1年が経とうとしているけど、
依然、その頃のコミュニティは存続しているし、これからも続いていくと思う。
WonderEggが素晴らしいパークだということは幾ら言葉にしても語り尽くせない。
でも、WonderEggがくれた私にとっての一番の宝物は
「たくさんの友人」に他ならない。
戦友とも呼べる仲間と飲む酒は格別だ。
パークはなくなってしまったけれど、
あの場所にいた人、皆がそれぞれに物語を紡ぎ、
かけがえのない何かを得て巣立っていったのだと思う。

9年間のお祭り騒ぎに乾杯! 


ワンダーエッグ3閉園イベントレポート 

        狂上帝

残り13時間

開園一時間前に自宅最寄駅にて友人、一円切手と待ち合わせ。
渋谷からは快速だったため、ギリギリ開園時間10分前に間に合いました。

残り12時間

んが!ここでビックリ。なんと開園前に入場の為の行列が出来ている!?
今まで何度か来てるがこんな事は初めてで驚いた、ものの。
前日、前前日と、都内某所にてもっと凄い行列を見ていたので、
それほど苦にはならなかったり(爆)。
早速列に並ぶとアトラクターが先頭からなにやら配ってきた。
見れば金色コイン。ちょっと得した気分。

開園三分前になり、【時報】は10時ピッタリではなく、
ちょっと前に鳴ることを思い出し、一円切手を列に残し慌ててゲート前へ。
久しぶりのMDはややぶっ壊れ気味で、
念の為デジカメのムービーモードも作動させ、録音終了後に列に戻りました。
一応ムービーの方は頭だけ聞いてみると、ちゃんと撮れている様子。
が、後日この文章を執筆中全部再生してみると、
肝心の本編で切れている事が判明し、がっくり。
 やはり同じように録音していた女性がいたのを視認しているので、
どこかのHPとかで公開されてないかなーと淡い期待をしているが、難しいだろうなぁ。

残り10時間?

入園後、最初に目にするドルアーガは、そこそこ混んでおり、
ギャラクシアンスリーもやや混みモード。
来園までは「全種目制覇だ!」などと言っておきながら、
いざ来てみたら、なんだか至極のんびりしてしまいまして。。

「どうしよっかー?」などと相談しながら
とりあえず一番空いているフューチャーコロシアムへ。
こちらは至極空いており、最終的に5人(アトラクター一人含む)の対決。
んがしかし!なんと、機械の不調でやり直すこと三回!(だったような)。
ちょっと得した気分でした。
試合結果は四位。
鬼を示すランプがついてなくて自分が鬼だと気が付かず、
最初点数ガンガン減ってったのが敗因ですな。
一円切手はしっかり一位をもぎ取ってました。

その後ドルアーガへ。
なんと、めちゃくちゃ難易度が低かったです。
こうもり直前のイワオが三匹並んでる奴が、二人で二個まで消えましたし。
魔術師四人も久しぶりにオールクリア。ドラゴンの頭もすんなり。
そこまでやさしかった割に、
ドルアーガでやられる辺りがなんともらしいっちゃーらしい(笑)。
これもきっと最後の最後、大盤振る舞いで出血大サービス!だったのでしょう、
なんせ開園30分あたりでゴールドナイトが18組ほど(だったかな?)。

とりあえずはその場を後に、ギャラクシアンスリーへ。
やはり来てました、ギャラ^3好きなの方々。
さすがにブロンズも取れませんでした、ランクはAだったんですがねぇ。

昼食 the インターバル

昼食をどうするか、これは最大の難問でした。
一円切手は「休日は食わなくても平気」と言ってましたが、
自分は「腹が減ったら食う!」人なので、なんとしても食わないことには。
但し、一度でもワンダーエッグに行った事がある人なら分かるかと思いますが、
園内の食事ってのが「まずい高い量が少ない」と三重苦がそろってまして。
入退園が12月1日付けをもって開放されていたのをその日初めて知り、
とりあえず外で食おう、と言うことになりました。

前に一度食べた事のあるパスタ屋の近くにあったオムレツ屋を目指したのですが、
なんとその一帯がデパート?の改装か何かで全部閉店となっておりまして。
いや、探せばあったのかもしれませんが、
食事にそこまで時間をかけたくなかったので、駅近くの餃子店へ。
紅虎餃子房と言う店です。 大変満足でした( ̄▽ ̄)vv。
総合得点80点!味のみでいったら95点!
自分がラーメンにここまで高得点を付けるのは珍しいです。
食べたのは【胡麻豚塩麺】
すり胡麻を贅沢にたっぷり使ったスープが絶品でした。
ちょっとこってりなので、さっぱり系が好きな人にはお勧めできませんが。
ただ難を言えば麺が柔らかすぎたように思います。
それと、【鉄鍋餃子】も旨かったです。
形は春巻き状に巻いてある餃子で、具がボロボロと崩れる普通の餃子と違い、
肉まんの肉のように一塊になっていて、しっかりした味と歯ごたえがグーです。
これなら電車代を出してまで食べに言ってもいいなぁ、と思いました。

残り9時間〜1.5時間

午後はたまご帝国がメインになりました。
ファンハウスエクスプレス(以下FHE)は一時間おきに一種ずつ、
計六種(2回上映が何本か)が上映されておりまして、
まだ見た事ないものをチェック。
んが!しかし。見た事ない物は3D。
館内は暖かく揺れもせず、寝不足も手伝ってうとうとと…眠ってしまいました。(苦笑)。
今にして思えばなんともったいないことを・・・

たまご帝国内では主にドリフトキングを重点的に回ってました。
何せ一番待ち時間が短い。でもってアドリブも比較的多いし。(笑)。

でも一番アドリブが多いのはやっぱりFHE。
なんたって、正直な所他のアトラクションは
向こうから勝手にドリーマー(来園者)がやってくる。
んがしかし!FHEの場合、
喋りでドリーマーのハートをがっちりゲットしなくちゃいけませんから。(笑)。
それにしてもFHEがあんなに混んでるのは始めて見ました。
最初で最後かも。
「定員となりましたので、次回の御案内となります」の台詞を聞いたのも始めて…
なんせ普段はねぇ。閑古鳥でしたから。(TT)。

一度ラペロ村に戻ってぶらぶらした後、エルズ広場のイベントを見ることに。
大道芸でした。大変面白かったです。
何しろその「ケンちゃん」なる芸人は、
ネタなのか、素なのか、いまいち判別不能な感じでして。
一生懸命っぷりがまたかなり笑えました。
日本は大道芸を路上でやるのは非常に難しい事もあり、
この様な芸を披露できる場所は貴重なわけで、
そう言う場所が一つ消えるのは惜しい話です。
「ケンちゃん」も、もう何年もイベントの度に
ワンダーエッグのエルズ広場で披露していた、と言ってましたし。

大道芸堪能後、再びたまご帝国へ。
FHEのアトラクター、「あいりす」さんが皿回しをしてたのですが、
何の因果か、自分がチャレンジする羽目に。
簡単そうでなかなかできないんだなぁ、これが。
悔しくなってついつい時間を忘れて練習しまくってしまいました。
結局ちゃんと廻すことは出来ませんでした。
一円切手はジャグリングの一つ、ボールでお手玉?を練習しておりましたが、
かなりハマッたらしく、今年の目標にしたくらいです。

残り1.5時間〜最後の瞬間

いよいよ【その時】が迫ってまいりました・・・
とりあえずファイナルカウントダウンイベントをいい場所で見るべく
やや早めにエルズ広場へ。
するとなにやらステージ前でロープがはってあり、列が作ってあります。
アトラクターに聞いたところ、キャンドルサービスをするので、その列だそうで。
とにかく参加しようと並ぶことに。
一円切手と今までワンダーエッグに来てあったことなどを喋りつつ並んでると、
ぽつりぽつりと雨が。
一円切手曰く「涙雨だよ(^^)」と。
しんみりするのは嫌いなんだけどなぁ。

程なくイベントが始まりました。
ダンサーによる華麗なダンスのあと、列に並ぶ人々が左右に別れ
一人一人キャンドルを手渡され、ダンサーにエスコートされながら、
ステージの大階段へとキャンドルを置いていきます。
自分の番になりました。
なんだか、本当に終わってしまうのか、いまだに信じられない、
そんな気分でした。
ステージを降り、広場中央辺りで一円切手と落ち合い、
ステージが見やすい良い場所へ移動。

まだまだキャンドルサービスは続いていますが、
途中で突然【ミ"ーミ"ーミ"ーミ"ー!】と、サイレンが。
注意して聞いてみると、【ファイターキャンプ、ドリフトキング、ファンハウスエクスプレス、
コントラプション、ザ・マミーへのドリームエネルギーの供給を停止します】のアナウンスが。
そして【ひゅうぅぅん】という停止音の後、
【たまご帝国の動力供給が完全に停止されました】
と最終宣告が(以上、台詞は全てうろ覚え)。
その瞬間、涙がボロボロと溢れて来て
【その、その演出はやめてくれッ】と、声に出していた事に、自分自身がびっくりしました。
その瞬間に考えていたのは
「たまご帝国最後の瞬間、その場にいてやれなかった。最後を見取ってやれなかった」
と言うことでした。

しかし、そんな一ドリーマーの思いを知ってか知らずか、
ファイナルイベントは着々と進行してゆきます。
残り一つのキャンドルを置けば、
大階段に並べられたキャンドルが【WE3】の文字を完成させます。

ここでゲストが登場、
そう、WEで芸能人と言えばこの人、西村知美さんです。
MCとの軽いトークの後、WEに宛てた手紙を読み、
最後の1キャンドルを大階段に置きます。
いやー、きれいでした。キャンドルで浮かび上がるWE3の文字。
ただしMCのお姉さんが邪魔で一部が欠けて見えていたのが悔やまれます。
もうちょっと脇に退くとか何とかして欲しかったです。

その後、ナムコのテーマパーク部門か何かの偉い人が出て来て挨拶。
曰く「今日を持って、ワンダーエッグはその使命を終えます。
ですが、遊びの女神エルズの残した【遊び心】は、今現在、池袋の」
ここまできたとたん、会場内からクスクス笑いの嵐。
「ナンジャタウンのナジャヴナンジャにしかと受け継がれたのです!」
ここで大爆笑アンド拍手喝采。
こういうふざけた(誉め言葉)ユーモアは大好きです。
更に2001年の新展開として、
横浜カレー博物館(?)も実はナムコが関係しているとも聞かされ、
最後に「今後ともよろしくお願いします」(この辺の言い回しもうろ覚え)
とまで言われた日には一同またもや爆笑。

この間にも、各アトラクションへの動力供給が確実に停止して行きます。
そして、ステージ上では各エリアのアトラクター達が最後の挨拶をしています。
中には涙声の人達もいましたが、やはりワンダーエッグのアトラクター、
明るく笑ってお別れを!という人たちが多かったです。
例えば・・・
「最後に一言。すいません!頭、染めてしまいましたっ!」
と脱帽すると、見事な金髪だった、とか。
ドリーマーからの声援数が一二を争うアトラクターでしたね、彼は。

全員が挨拶を終わると、再度西村知美さんが登場。
MCとの会話で「アトラクターの皆さんもねぇ」と、大階段の方を向いて言うと、
先程まで並んでいたアトラクター達の姿はもうそこに彼らの姿は無く、
ステージ下最前列にいたと言う、天然ッぷりをフルに発揮し、笑いを誘いました。
その後は龍の塔エリア(ホテル殺人館、ドルアーガの塔など)の動力が落ち、
残るはいよいよエルズ広場のみとなりました。

正直な所、ここから先の記憶は曖昧です。
ただ、全員で集合写真を撮った事(恐らくは広報資料でしょうか)と、
花火(大型クラッカー?)が上がった事、
【ワンダーエッグ】の頃のアトラクター達が【輪踊り】を敢行した事、
など、一緒くたになって記憶されています。

あの最後の瞬間のエネルギーは何物にも変えられない、素晴らしいものでした。
終わってしまう事に、完全に納得がいった訳ではありません。
でも、【期間限定】と謳っていた以上、この日が来る事は避けられなかったわけで。
でも。だからこそ、最後の瞬間を、
【お祝い】の気持ちで締めくくることができてよかったと思います。
また、その瞬間に、その場にいる事が出来た幸せを感じています。

そして今、願うのは、形を変えての、ワンダーエッグの復活です。
【たまご】にかけて、ぜひ【私たちは、孵って来た!】と、言って欲しいのです。
願わくばもっとうちの方に近くで(笑)。
ささやかな希望として、たのみこむというサイトで復活希望を提案しております。
興味を持たれましたら、ぜひ賛同の一票をお願いします。
【ワンダーエッグ】で検索をかけると出てくると思いますので。

それでは、以上を以って、ワンダーエッグ最後の日の報告を終わります。

2001・01・31 狂上帝

**************************************

その後のWE跡地 2001/03/25

二子玉到着後、早速ワンダーエッグ跡地へ。
駅前バスロータリーの所にあったでっかい看板はそのままでしたが、
コインランドリーの所のは、なにやらモデルルームの看板に。
場所説明に「ワンダーエッグ【跡地】」の文字がちょっと痛かったです。
ドンガバチョもグチャグチャに取り壊しが執行されてました。

さて、いざ到着してみると、たまご帝国側では、日曜にもかかわらず、
重機(ショベルカー)が三台中二台も動いてました。
今まであった筈の建物がなく、見えない筈のその向こうまで見えると言う風景に、
ほんの少し違和感を覚えたものの、
最終日や、晴海国際見本市会場が無くなった時程の感傷はありませんでした。

が、ワンダーエッグ側の取り壊しっぷりを見てさすがにちょっとキましたね。
外周の建物以外はほぼ瓦礫の山でした。下
手にまっさらになっているよりもそのままの所と、更地の所が混ざっている事で、
【壊れている】と言う実感が、意識しないレベルでもあったのかもしれません。
映像と画像をデジカメに数点納め、駅まで戻りました。

駐車場(バンジー)側まで行かなかったことや、
ほんの数分(?)で撮影を終わらせたことを考えると、
無意識のうちに、「何か」を避けていたのかもしれません。
また更地になったら、いつの日か、訪れてみたいと思います。


本当に楽しく、充実した時間を過ごせました  

    うさの みみ

*初めて行った日のこと*
私が初めてワンダーに行ったのは、
WE2になって最初のハロウィンの日である1996年10月31日。
平日だったので結構すいていたけど、
仮装したアトラクターの人たち自ら楽しんでいるのが伝わってくるせいなのか、
閑散とした雰囲気ではなかったのを覚えている。
メビクリに乗ると、「今日はカボチャもご一緒しまーす!」と
カボチャをドボンと投げ込んでくれたりして、
完成されたテーマパークというより、手作りの楽しさを加えて雰囲気を盛り上げる、
まるで文化祭会場みたいなところという印象を持った。

*好きなアトラクションは*
やっぱりG3。
ただ撃つだけのアトラクションなのに、なぜ何回やっても飽きないのか不思議。
(もっともっと上達したいと思うせい?)
それからドルアーガ。キューザーもすごく好きだった。
それと、好きだけどずっとヘタだったファントマーズも、
最後の1年で10000点越えられるようになってからもっと好きになった。

*音楽に関しては*
ラペロークが一番好き。
これが聴きたいがためにエルズストーリーを買ったのに、
収録されてないと知った時のショックといったら(笑)
それとカルーセルとラペロ村の音楽がとっても好き。
G3のブリーフィング時のノリのいい音楽とG3の外で聴こえる音楽も好き。
たまご帝国のテーマもいいな。

*ワンダーにいる時って*
時間の経つのがすごく早く感じられた。
朝からいたのにふと気がついたらもう夜になっていて、
お昼ごはんを食べ忘れるということも何度もあった。
仕事を休んで一日中ドルアーガにいることもあったし、
一日中G3ばかり乗ってる日というのもあったけど、
そういう時は本当にあっという間に一日が終わる感じがした。
アトラクの魅力もさることながら、
単なる「遊園地の乗り物係」とは違う、
明るくてフレンドリーなアトラクター諸氏の力で、
アトラクションの世界にどっぷり浸り、集中した結果なのだろう。

*今は…*
まだワンダーがなくなったことを認めたくない部分があるような気がする。
跡地は一生見に行けないかもしれない。
いつかワンダーエッグ4になって復活してほしいといまだに思っていたりする。
それが無理なら家から歩いてすぐのとしまえんに
G3とドルアーガとファントマーズを移設してほしい。
もちろんアトラクターの方達も込みで…(よけい無理かも)。

*でも*
ワンダーで過ごした日々の思い出は貴重な財産。
本当に楽しく、充実した時間を過ごせたことに感謝。
そして今でも、同じ想いの人達がたくさんいること、
きっとみんなもワンダーのことをずっと忘れないでいてくれるだろうという安心感が、
ちょっぴり心の支えだったりする。


時間が戻せるのなら…  

さら


たまご帝国で約1年間アトラクターをやりました。
ここが私のテーマパークでのアルバイトの原点だと思っています。
パークが無くなった事は、まだ信じられません。
今では更地になっているそうですが、一度も見に行っていません。
話に聞いているだけです。
もし、時間が戻せるのなら、最盛期だったあの頃のワンエグに行きたいです。
イースターエッグハント、もう一度見れるといいな。


ファーストコンタクト       

           DZ.

ワンダーエッグはずっと憧れの場所で、なかなか行けなかったんです。
だから以前は雑誌で記事を読むか、
またはエルズストーリーを聴く程度で色々と想像していましたね。
でまあ、1は結局行けず、2も終わるという話がちらほらと出てきた頃に
やっと行けたんで、その時の話をちょっと。

ナイトパスで入園、初めて来たにも関わらず足はG3へ。
「遂に、遂にこの時が!!」などと一人で燃えながら待ってました。
周りには誰も居ず、「一人かぁ・・」と思っていた時に現れたんです、その集団は。
5,6人の男女グループだったと思います。
まあ待ってるときやブリーフィングの時は特に気にしてなかったんですが、
ゲートが開いたときにバラバラの席に座りまして、
「グループなのにバラバラなのかぁ・・」とか思いました。

まあ既に私の頭の中は初プレイの興奮に満ちていたので
そんなに気にしてなかったのも事実ですが、
プレイ中の興奮の中、何か周りの興奮も凄いなぁと気づき始めました。
・・・要所要所で何か叫んでるんですね。
「・・・・シナリオVer.3.01βマル秘だなぁ・・・・」
で、ここで気づいたんですよ。もしかして・・・その手の人達なのか?

まあそんなわけで無事にファーストコンタクトを果たしたわけですが、
実のところ誰だったのかさっぱり分かりません。
4,5年前の冬・・・の想い出です。
・・・因みにその時私も叫んでいましたよ3.01βマル秘


私のワンダーエッグ         

        Joynass

今までワンダーエッグ本を何冊か
コピー誌ではありますが出してきた私。
そのネタを集めるために通いつめたワンダーエッグ。
骨のずいまで、という訳にはいきませんでしたが、
楽しませていただきました。
今でもまだまだやりたいアトラクションがあるのに、
もう出来ないと思うと寂しく思います。
私のワンダーエッグのファーストコンタクトは
昔出したガンナー本にもある通り、とある集まりで行ったのが最初です。
その時はこれだけ強い想いを残すことになるとは思いませんでした。
そして、ギャラクシアン^3をはじめとしたアトラクション達に
はまった自分を楽しくも思ったものです。

桂一:らしくない事言ってるよ。
真樹:そっとしとこうよ。たまにはマジメにやりたいんでしょうし。

外野うるさい。
と、まあ、その本に出てきたキャラ達もやはり別れがさびしい様子で、
今でもこうやって出てきます。
お前達はナンジャタウンがあるだろうに。

桂一:あんたが行かなきゃ俺達も行かないよ。

むう、その通り。

真樹:それに、別物ですからね。TDLも好きだけど、やっぱりゲーム的感覚のあった
   ワンダーエッグは特別ですよ。

そこなんです。
ワンダーエッグはゲーム系パークのハシリでもあるのです。
だからこそ、内容の攻略などという本も作れました。

桂一:その攻略の為に割引無い頃に何回通った?

もう数えられないな。
カルラカードは捨ててしまったものも多いし。

真樹:でも一時期すごく淡白でしたよね?

そう、通い始めて半年くらい経った頃、行くには行くけど
カードの代金分のアトラクションに乗ったら帰ってた。

桂一:何が原因でそうなったのかな?

多分、夫婦の倦怠期みたいなもんだろう。
その頃はまだ某広報局も知らなかったし、本も出してなかったから。
広報局を知って、ギャラクシアン^3にはまったようなものだし、
それが発展して本を作るようになったわけで。

真樹:その広報局を知ってから、過熱したの?

思い出してもそれしか原因は無い。
あれから極端なギャラクシアン^3ハマリが始まって、
総じてワンダーエッグハマリが始まった。
そして気付くと「ワンダーエッグの歩き方」という本を出してました。

真樹:それからですよね。調べるという目的でもワンダーエッグに行くようになったのは。

アトラクションがゲームだから、攻略という概念が出てくるんですよ。
単独プレイでの攻略と大人数の中での攻略は意味が違うから、
そこが難しくもあり、面白くもありました。
その後からピラリスグッズとかにハマったりしました。
これはどちらかというと、結婚してからかな……。

桂一:ワンダーエッグの縁か。
真樹:そういえば、本籍もそこなんですよね?

一応……。とまあ、こういう風に
色々な思い出を残してくれたワンダーエッグですが、
なくなってしまって寂しいですね。
もうあの不思議な時間の流れた空間にいられないと思うと、
また一層寂しく思います。
最後に……ワンダーエッグ、沢山の思い出をありがとう。


ワンダーエッグの思い出    

            どいつ

初めて行った時から全開で楽しめた場所。
何時行っても楽しい気持ちにさせてくれる場所。
楽しい思い出が沢山つまった場所。
アトラクターが全てでもなく、ドリーマーが全てでもなく
お互いに楽しみながら遊び方を考えた。そんな場所。

いつまでも続くと思っていた。
でも、卒業は待ってくれない。
そして、卒業する日がやってきた。

もうあの空間には戻れない。
心残りは沢山有るけど、
次のワンダーエッグを作るエネルギーとして取っておこう。


深夜のWE跡地にて      

            Tom#2

ちょっとした機会があって
深夜のWE跡地に立ち寄った事がありました。
あのときから半年以上経っていましたが、
一面砂利が敷かれて更地になっていたにもかかわらず、
心の中にはあのワンダーエッグの風景が残っていたんです。
『ここに正門があって、ここにカーニバルアーケードがあって…そしてここにG^3が…。』
実際に泣く事はなかったんですが、何ともいえない気分になりました。
心の中では泣いていたのかも知れません。
何だかんだ言っても、ワンダーエッグは私の生活の一部でしたから…。


ひとつひとつが大切な宝物     

         meemee

初めてワンダーエッグに行ったのは、中学生のとき。
ゲームで有名なあのナムコがテーマパークを作ったと聞き、
いてもたってもいられず、さっそく遊びに行った。
ドルアーガの塔、ギャラクシアン3、フューチャーコロシアム・・・
どのアトラクションも驚きと興奮に溢れていた。
その後、ワンエグには年に2回ほど遊びに行くようになった。
ドルアーガの塔は何度やっても面白く、何回も何回もループしたのを覚えている。

18歳のとき、受験のために上京。
借りたマンションは二子玉川園のすぐそば。
ワンエグまで25分の好立地(笑)
受験そっちのけで、何度もワンエグに遊びに行った。
ねおあみの方々と知り合ったのもこのころ。
アトラクションの攻略法もいろいろ教えてもらった。
その中でも、ドルアーガの塔の奥深さにはほんとうに驚いた。
方法によっては宝物を出せたり、撃ってはいけないものがあったり・・・
遊園地の乗り物でこんなにやりこむことが出来るものはなかった。

足しげく通っているうちに、いつしか来園回数は100回を越え、
ドルアーガも一人で倒せるようになり、
宝物の出し方や撃ってはいけないものも全部覚えた。
常連さんとも親しくなり、
一緒にアトラクションに乗ったりするようになった。
人と一緒に楽しい時間を過ごす、ということを知ったのは、
ワンエグでの体験が初めてだった。

その後もワンエグ通いは続き、ワンエグ2のクローズセレモニーや
ワンエグ3のオープニングセレモニーにも参加したりしたが、
大学受験などの事情でしばらくワンエグから離れているうちに
ワンエグは閉園してしまった。

でも、ワンエグで体験したことは、ひとつひとつが今でも大切な宝物。
人とふれあうこと、遊びを楽しむこと、楽しい時間を満喫すること・・・
ワンエグはたくさんの「遊び」を教えてくれた。
そして、その想いは、今でも心の中で生き続けている。


遊びのタマゴが割れた。 

まるかめ


遊びのタマゴが割れた。
そこからは、遊びの種がたくさんでてきた。
何だろうと思った人たちは、その遊びの種で楽しい時を過ごした。
そこにいけば、いつも遊びの種があった。
しかもそれを育てる人たちもいた。
その人たちと一緒になっていた。

たくさん遊んで、
たくさん楽しんで、
まだまだ遊び足りないぞと思ったころ、
遊びのタマゴは天に帰っていった。

みんな悲しんだ。
もう遊びの種はないのかって。
でも、そうじゃない。
遊びのタマゴは、みんなの中にある。
みんながみんな、遊びの種で遊んでるうちに
自分の中にある遊びのタマゴのことを忘れてしまっていたんだ。

そう。
遊ぶこと、楽しむこと
それは、どこでもできるんだって。

今みんなは、どこで遊びの種を作っているのかな。
楽しんでいるのかな。
これから生まれてくる子供たちにも
遊ぶこと、楽しむことがすごく大切だって事、伝わって欲しい。
それは、遊びのタマゴで楽しんできた僕たちが次にやることなんだ。

子供たちと一緒に遊んで楽しんで
そう、遊びの種は無限に増えていく・・・
遊びの神ピラリスは、ず〜っと見ているよ。
ほら、どこかから
アレアもアゴンもミミクリもイリンクスも
笑ってみてるんだから。


アトラクションの思い出     

          たれまお。

私が初めて行った日というと正確に覚えていないが、
ちょうど10年前の16歳、1991年だと思う。
確か5〜6人で行った覚えがある。
結構WE3ってリニューアルしてるので、何で遊んだかも覚えていない(笑)。
私自身、実はジェットコースターとかの乗り物は全く駄目で、
皆さんが愛するG3など全く乗れないのがとても辛いのですが、
過去に遊んだアトラクションを詳しく紹介していこうと思う。

『占い魔女の館』
 何か占って貰ったが覚えていない。

『ホテルゴースト』
 怖くて怖くて足が中々進まなかった。

『ミラーナの心理迷宮』
 鏡ばかりで迷いに迷った。
 途中で恋愛心理ゲームがあって、
 試しにやったのが殆ど当たっていたのは覚えている。

『バーチャルビークル』
 ワンダーで一番遊んでいたアトラクションである。
 マシンに乗って小さくなるのだが、友人と私とで撃ちまくっていたら
 結構高いランクが出て、その後1人でも乗れる程、やみつきになった。 
 金の乗り物が目を引くのである。

『ドルアーガの塔』
 こちらも1人でも友人と2人でも良く乗っていた物である。
 簡単なようで意外と難しく苦戦した。
 私は皆さんより上手くないが、唯一シルバーナイトまで行けた覚えがある。
 ストーリーが気になる乗り物であった。
 ナンジャの蚊取り大作戦もドルアーガと同じ作りで、
 1人でも楽しいがちと辛い物もある。

『ピラリスのカルーセル』
 ワンエグがなくなる前に、一番最後に乗った物である。
 疲れていたので乗ると精神的にまたーりと出来る物で、1周したら寝ちゃっていた。
 人がいなかったからアトラクターさんに「すみません、もう1周させて下さい」と言ったら、
 苦い顔で「もう閉めちゃうんで…」と言われた…ぐやぢい。

『ウェディングジャッジ』
 カップルには当然はまる物である。
 私は早速、当時付き合っていた年下の男性と占った。
 最初のドレス選びは、合成して出来ている衣装を探したが、
 彼が写っているのがわかるので 余計照れてしまった。
 その後いくつか試した結果…何と
 「相手と2回良い結果が出たら銀の指輪をプレゼント」
 らしくて、私は見事いただいてしまった。
 しかし問題はその後である。
 後日ワンダーエッグから一通の手紙が届いた。
 風を開けたら…なんと「公開ウェディングに出て下さい」
 ワンダーさん、タイミング悪いよ。
 その頃私は、すでにその彼と別れた直後だった。


ナムコ・ワンダーエッグ
9年続いた長い学園祭が終わって・・    

    でぃびぃ。

[筆者プロフィール]1973年生まれ、放送作家・企画屋稼業。
幼稚園時代からゲーセンに入り浸り、実家が近くのため、
小2の頃からフラッとナムコ本社に遊びにいく生活を実践。
気が付くとテストプレイヤーをしていたり、イベントを手伝ったりという生活に、
間を置いて95年にWE2の企画に参加。
以来、WE3/NTをはじめ、ナムコをお得意さまとして今に至る。

2000年12月31日23時、閉園時間よりだいぶ経って、
もう二度と開くことのないゲートが閉まり、
昨夜から泊まり込んで徹夜して迎えたワンダーエッグのファイナルデーも終わろうとしている。
エルズ広場には、むせるようなアルコールの匂いが立ちこめていた。
"アトラクター"と呼ばれたスタッフ達も、今夜はここから離れがたく、
ある者は騒ぎ、ある者は泣いていた。
この光景を見ながら、僕はあることを思っていた。

それはワンダーエッグで遊んでいて、
または仕事をしてきてずっと感じていたことでもある。
「まるで学園祭みたい。」
そういう意味で、このファイナルデーはここにいる全員にとって、
長かった学園祭の終わり、後夜祭でもあったのだ。
ご承知の通り、元々、ワンダーエッグは4年という期限付で始まった
期間限定・日本初の都市型テーマパークを売りとしていた。
もちろん、その後、再開発の影響で2,3と会期は延びていったが、
はじめから「終わること」が決まっていて、それを発表していたという点において、
また機器の開発ノウハウはあっても、
イベントやテーマパークというものに関して何のノウハウもなかった
「素人」のナムコにとって、まさにこれは「祭」であり、
ワンダーエッグはまさに何もかもを、手探りで、手作りでやっていたことから、
必然的にこうした「学園祭ノリ」になっていったようだ。
実際、池澤守氏もそれを認めていて、逆にその反省を踏まえ、
ここで得たノウハウをもってデザインし直したのがナンジャタウンということになる。
まさにワンダーエッグというタマゴがナンジャタウン、その他、
外に与えた影響も含め、いろいろなものを産み、
そしてその役目を終えたのが、今日という日だったということである。

では遡って、なぜワンダーエッグというタマゴが産み落とされたのかについても
少し考えてみよう。

ワンダーエッグを作ったナムコは、
1955年に東京・大田区で中村製作所として創業している。
現在も会長兼社長として総指揮を執る中村雅哉氏以下たった3人でスタートし、
創業期は全国のデパートの屋上などに
ゲームマシンや遊具、観覧車などを入れたミニ遊園地を作り、
「モノレールから木馬まで」のスローガンどおりに
子供に夢を与えたいと急成長していった。
その頂点として1968年には日本橋三越デパートの屋上に、
東京の景色を一望できるロープウェーを売り物にした
「大東京ロープウェイランド」を完成した。
まさにこの遊園地の誕生は創業時からの夢であり、大変な人気を集めたのだが、
その後、73年頃より始まったオイルショックや、法改正により、
屋上遊園地というスタイルが衰退してしまったため、
わずか数年で姿を消してしまうこととなる。
(しかし、ここでできた三越とのパイプが、後にサンシャイン三越跡に
ナンジャタウンを誕生させるキッカケとなっている。)
夢だった遊園地が長く続かなかったこと、
このことが逆に後にテーマパークを作りたいという出発点となったのは
間違いないようだ。

この頃、中村製作所は自社開発のゲーム機器を手がけ、販売することを始めており、
事業はすでにこちら主体にシフトしていた。
当初はエレメカの時代、「ペリスコープ」という潜水艦ゲームや、
最近リメイク発売された「サーティテスト」、
そしてワンダーエッグ・ラペロ村の3代目村長を務めた木田氏が開発した
「レーサー」といったゲームがヒットしていた。

また、この頃からゲーム機器を海外にも輸出するようになり、
その海外ブランドとして、
中村製作所の英訳を略したナムコのブランドネームを使うようになる。
(=77年には社名自体を変更)
そして1976年より、いよいよ皆さんご存知のビデオゲームの開発に着手。
それは79年の「ギャラクシアン」のヒットで身を結び、
80年の「パックマン」以降、出す作品すべてヒットという
いわゆるナムコ黄金時代につながる流れなわけだが、
この年、実はもう一つ、興味深いプロジェクトがスタートしていた。
それは「ロボット」である。

中村氏がアメリカで見てきたディズニーランドのアトラクションにある
「演説するリンカーン」のロボットに感激し、
ロボットを作れ!と社内プロジェクトが組まれた。
このプロジェクトの中心が、ワンダーエッグ・ナンジャタウンを手がけることになる
後の取締役・田代泰典氏であり、途中から池澤守氏が加わることとなる。

このロボットチームは当初、リンカーンのような人間型ロボットを試作していたが、
人間型はあまり日本人には好かれないだろうという結論から、
中村氏がよくいう「情緒」を感じるロボットを作ろう
=エンターテインメントロボットを作ろうという方向に転換。
そこでコミカルな動作で迷路を脱出するロボット
「ニャームコ」(79年)と「マッピー」(81年)を開発する。
現在の「アイボ」を代表とするペットロボットなどのコンセプトを
20年以上早く実現していた。
(余談だが、ソニーのERチームのトップ・大槻氏はアイボ開発前、
ナムコに在籍していたこともある。不思議な巡り合わせだ。)

80年代初頭、ナムコはこの「ロボット」を、
成長してきたビデオゲームと並ぶ事業に育てようとプロジェクトから、
「MS事業部」へと拡大し、折りしもの博覧会ブームに乗って、
各地のイベント・博覧会などへロボットを売り込む。
音声認識機能までついた原子力PRロボ「アトマ」(80年)や、
ジャンケン機能を搭載していた科学万博のPRロボ
「コスモ星丸」(83年)などがそれである。
(またまた余談ではあるが「星丸」は熊本市立博物館に譲渡され、
現在も稼働しているらしい。)

また、さらに究極的なものとして、
アトラクション性を高めたロボットバンド
「PICPAG(ピクパグ)」(84年)が制作された。
司会のマジ面太郎以下、5体のロボットが曲を演奏するというロボットバンドは、
当時、実際に芸能界デビューさせようという計画もあったようだが、
幻に終わってしまっている。
このピクパグの姿は、プレイステーションの「ナムコミュージアムvol.4」に
おまけとして収録されているので、興味のある方はそちらをご覧いただきたい。

と、このようにいろいろ制作されてきたナムコのロボット達だが、
85年に現在の本社ビルが完成したときに制作された
受付ロボット・「受付小町」(現在も稼働中)と、
お茶汲みロボット・「キュージくん」の二体を最後として、
事業性の問題から、その歴史を終えてしまう。
早すぎたためなのか、
ロボット展開が成功に終わらなかったことは非常に残念ではあったが、
現在のテーマパーク事業本部の原点が、
この「ロボット」であったことは間違いなく、
池澤氏はそうした意味も含めて、2001年、「マッピー」誕生20周年のこの年に
ロボットのマッピーを、
ナンジャタウンのアトラクション「福袋探偵大学」で復活させている。

その後、田代氏、池澤氏ら、MS事業部の面々は新しい事業を模索し、
86年にはナムコが未開拓だった「おもちゃ事業」を考案し、
ペットロボット的コンセプトの走りといえる
エモーショナルトイ(人形)シリーズを開発。
第一号の「竜馬くん」は数万を売り上げるヒットとなり、
その後もシリーズは88年まで続いた。

そして、その後がいよいよ90年の大阪花と緑の国際博覧会、通称"花博"である。
ロボット時代から博覧会関係とのつき合いがあり、
その流れで花博にナムコも施設運営で参加することとなった。
88年の暮れ、この頃、ナムコは株式上場も果たし、
急成長している最中であった。
そんな勢いもあっての博覧会参加を決め、
その企画が池澤氏の手に委ねられた。
悩んだ末に最後に出てきたコンセプトが
「ハイパーエンターテインメント」構想であり、
それを具現化するためのソフトとして、
ナムコが誇るビデオゲームのヒット作を3D体験できる形にアレンジすることとなった。
そこに選ばれたのが「ギャラクシアン3」と、「ドルアーガの塔」である。
88年より本格的に研究を始めたCG技術をはじめ、
ナムコの持つ技術を結集して、一年がかりで制作された2つのアトラクションは
花博の目玉となり、大成功を納めた。

これをもってナムコはアトラクションメーカーとしても認知され、
ちょうどバブルの真っ最中ということもあって、
この2つのアトラクションはあちこちから引き合いがあったが、
慎重に検討を重ねた結果、
91年初頭、この二つのアトラクションを、二子玉川の旧遊園地跡地に移設し、
それを中心にミニテーマパークを企画・運営するということになった。
これがワンダーエッグとなる。
当初は「ナムコ・ミニテーマパーク」と呼ばれ、
91年夏まで企画が練られ、同年秋から工事が着工。
そして、1992年2月29日、
「ニコタマへ行こう!」を合言葉として、ナムコ・ワンダーエッグが誕生した。

オープン時、ワンダーエッグは入場規制を毎日繰り返すほどの大成功を納め、
初年度入場者数で100万人近くを達成するほどであったが、
運営的には大変だったようで、
ナムコ全社から応援の社員を呼んでも追いつかないほどだったようだ。
全体のプロデュースを担当した池澤氏は、
パークコンセプトの参考に
宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」(86年)の世界観を参考にし、
全体のストーリー・エルズストーリーを考案して、
どこか神話的な遊びの世界として、ワンダーエッグをデザインした。
そして、そこから既存の2アトラクション以外のアトラクションや、
イベントを考案していった。

ワンダーエッグに限らず、
ナムコではあらゆる最終決定を、会長兼社長である中村雅哉氏が行っているが、
中村氏はただ決定を下すだけでなく、
その独特の直感でアイデアを助言することが多い。
そして、ナムコのこれまでのヒット作の中にも多数、
そうした「中村アイデア」は入っているのだが、
ワンダーエッグには特に(ついに自前の遊園地を持つという思い入れもあって)
力を入れていたようだ。

その中で大きなものが「祭・縁日」の要素である。
ナムコの創業時、横浜・松屋デパートの屋上で、
自ら「金魚すくい」の係をやっていた経験から、
縁日的な「お客さん・お子様とのふれあい」という体験が自らの中にあった中村氏は
特にこうした部分をワンダーエッグに求めたようだ。
ワンダーエッグはよく「アトラクター・人が面白く、魅力だ」と言われたが、
実はその原点はここにあったのである。
ちなみにこの時、イベントの担当としてTBSから招かれ、
当時珍しかったサーカス的要素や、ダンス・マジック的要素で
ワンダーエッグのイベントスタイルを作った貞方 祥氏(現・ショウマンズ代表)も、
この頃よく、中村氏から、「縁日・祭の賑わいを作れ!」と言われたそうである。

だいぶ長くなってしまったが・・
スタッフ・お客さん一体となっての縁日、祭、
この「学園祭ノリ」はなるべくしてなったものであったこと、
そしてどのようにワンダーエッグという「遊びのタマゴ」が生み出されたかが
おわかりいただけただろうか?

ちなみに僕自身のワンダーエッグを照らしあわせていくと、
オープン時はちょうど高校生であり、
子供の頃からナムコマニアであったため、
また電車で30分程度の場所に住んでいたこともあり、
しょっちゅう通い詰めていた。
花博にもG3目的で出かけた程だったので、
当初はもちろんG3目当てだったのだが、並ぶのがイヤで、
平日の夜に出かけてのんびりデートしたりする場所として活用するようになった。
思い出といえば、友達の遠距離恋愛のカップルとダブルデートをして、
当時、エルズ広場にあった衣装屋さんで衣装を借りて、
ウェディングドレス姿の写真撮影をしたことくらい。

やがて大学に入り、生活圏が離れたので、
少しご無沙汰になった時期はあったのだが、95年の夏にある事件が起きた。
当時の僕は大学に行きながら、放送作家見習いみたいなことをしており、
主にTOKYOFMなどで仕事をしていたのだが、
そのTFMから程近くにあるPRPの中村社長から呼び出されたのだ。

PRPはナムコの関連会社であり、
社長の中村氏はナムコの中村氏の実弟でもある。
またナムコファンには有名だったラジオ番組
「ラジアメ」の制作会社としても知られていた。
PRPはナムコ関係のイベントなどの制作をしているが、
ワンダーエッグでは、この前年に
「ホテル・ザ・ヘル」のシステム制作を担当していた。

僕はナムコマニアから、「ラジアメリスナー」でもあり、
そのうち放送の方が興味深くなって、いわゆるハガキ職人をしており、
その縁でやはりPRPには小学生時代から出入りしていた。
高校の頃にはアルバイトをさせていただいていたこともあり、
ナムコのイベントを手伝ったりもしていた。
そして、現在、僕が所属している会社でもある。

中村社長からの話は
「ワンダーエッグが来年以降も継続すること、
そしてその目玉としてラジオのサテライトスタジオを作り、
学生DJなどを入れて賑わせたいというオーダーのあること」
の二点であった。

そんなわけで、当時、21歳の僕はこの企画を任されることとなった。
その結果、誕生したのがWE2(3)STATIONであり、
そこから派生した「ザ・スタァオーディション」、
そして「愛とサクセスのメディアパーク」というコンセプトである。

最初はスタジオの企画だけだったのが、
当初、話を持ちかけたニッポン放送との雑談の中で
スタァオーディションを考えたのが、96年の初頭、
そしてそれを組み合わせてのコンセプトができた。
ナンジャタウンと同時オープンということで殺人的な忙しさの中、
手が足りず、僕は元々あまりいっていなかった大学を休学して、
この準備に奔走することになった。
ちょうどPRPの制作のヘッドがアメリカへ長期出張するという事件もあり、
何故かほとんどすべての打ち合わせや運営面含めて、
一人で担当することになってしまった。
企画が固まり、ちょうどワンダーエッグのイベントとしてはヒットし、
その後、ナムコのテーマパークに欠かせなくなった
小野プロデュースを初起用した「愛のサスペンス劇場」の
一作目をやっていた4月くらいから、スタジオの建設が始まった連休明けには、
ほぼ毎日のようにニコタマへ通うようになった。

ここでは貴重な経験をした。
建物の建築の仕方、図面の見方もはじめて知ったし、
見たこともないような金額の見積もりから請求書作りまでやった。
相手をしたM係長(現在ナンジャでおなじみの・・)らも
「なんでこんな若造が・・」と相当面食らったことと思うが、
僕もまた「なんでこんなことしてるんだろう」という疑問を感じていたのであった。(苦笑)
本当は僕だけじゃ足りなくて、
PRPからもう一人、応援の社員T氏がくるはずだったのだけど、
そのT氏はなんとナムコに移籍することになってしまい、
(それも今ではテーマパークの広報担当)結局一人でやるハメになった。
今、思い出してみても本当にムチャクチャな話だし、
よくもまぁ、それでなんとかなったなぁ・・。と思う。
もちろん陰でいろいろな人に苦労をかけたはずだし、
そのことについては感謝感謝である。

そのうちに運営も、正式に自分が担当することになってしまった。
これではとても手が足りないので、
僕は古くからの友人数人を呼び寄せ、バイトとして手伝ってもらいながら、
ワンダーエッグの中に自分の仕事場を設けることとなった。
僕も含めて、本当に全員まだ学生だった。
スタジオと管理棟2Fに設けた事務所の中で、
僕らもまた一つ一つ、手探りで仕事を覚えていくことになった。
ワンダーエッグにいたナムコ社員の方々は皆優しく、
ビジネスではあるのだが、
まるで学校の先輩のようにいろいろなことを教えてくれ、
そして共に「ワンダーエッグ2」という、
いわば第二期の学園祭作りをはじめた。

そしてこのファイナルデーまで四年弱、共にワンダーエッグを作ってきた。
WE2(3)STATIONの存在が賛否両論あったことは承知しているが、
僕にとってはそれをキッカケに
ワンダーエッグに関わったので否定することはできない。
スタジオ内や事務所に入ったことがある人はわかると思うのだが、
よくいろんなタレントさんなんかに
「大学のサークルの部室みたいですよね。」と言われることが多かった。
実は結構その通りだったりしたのだけど、
そういうものも受け入れてくれる場所が、
元々、学園祭ノリだったワンダーエッグであったといえる。
もちろんナムコ全体としてはこういうのは珍しくて、
本当にイレギュラーな、特別な存在だったと思う。

だから僕にとってワンダーエッグは結局、
卒業しないで辞めてしまった大学の代わりであったと思うし、
ファイナルデーを迎えたことで、
やっと「卒業」したんだという思いがある。
逆に社員、アトラクター、そしてドリーマーの皆さんに対しては、
ワンダーエッグという同じ時間を過ごした
同志であり、先輩であり、後輩といったような「仲間感覚」を感じてもいる。

僕はWE2(3)STATIONをプロデュースさせてもらって以後、
ワンダー・ナンジャはもちろん、
ナムコのいろいろなイベントの企画・プロデュースをやらせていただいている。
しかしワンダーエッグはいつになっても、その原点であり続けるだろう。
ドリーマーは楽しむ側だったが、僕は楽しませる側を選んだ。
会議室で雑談しながらいくつもの企画が生まれ、それを実行した。

おもしろいことなら、なんでもそれが許される。
「やっちゃおう!」そういう空気と、それをやるパワーがあそこにはあった。
台風で壊れた看板を「売っちゃえ!」と提案した今や恒例行事のオークション、
正月のG3大会、なんでもアリのニコタマまつり。
他にもたくさんあるが、
あの場所で修行し、タマゴから孵化した現在でも、
そうした経験を忘れないでいたいと思う。
これからも楽しませる側として・・
月並みな言葉だが、終わりは始まりでもあるのだ。

p.s
ちなみに僕は旧二子玉川園遊園地の最終日にもいった経験がある。
ユーミンの「かんらん車」という歌で
「空いた寂しい遊園地」と唄われた二子玉川園の最終日は
やはり人の少ない寂しいものだったが、
ワンダーエッグのファイナルデーは対照的にたくさんの人に支えられて、
すごく華やかなものにでき、良かったと思った。
駐車場のおじさん達が帰りに「お疲れさま」といってくれた。
あの駐車場のおじさん達は、実は昔の遊園地の元職員の人たちであったそうだ。

p.s2
よく「ワンダーエッグ」にはお化けが出るというウワサがあった。
僕が聞いた話では、ワンダーエッグの敷地にあったプールだか、沼で
「溺れ死んだ子供の霊が、カルーセルの所に出る」という話があって、
確かにエルズ広場は以前、沼というか池だったところを
埋め立てたというのは本当だったので、非常にリアルだったのだが、
ワンダーエッグに過去6回程、泊まりこんだことのある僕でさえ、
とうとうそれを見ることはできなかった。
でも一度だけ、スタジオのCDプレーヤーが
勝手に動きだしたときはビビったなぁ・・。
真っ暗なエルズ広場って本当に怖かった。
23時過ぎると園内も周りの照明も全部落ちるのだけど、
月明かりだけでみる広場は本当に「何かいそう」な気配があった。
たぶん昼間に人のいる時とダブって残像を感じるんだと思うけどね。
でも実際は警備のおじさんで一人、すごい顔の人がいて、
その人にバッタリ会った時の方が怖かった。

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